ネタばれ注意『鬼滅の刃』考察

鬼滅の刃』では、主人公である竈炭治郎と鬼舞辻無惨の戦いが描かれています。その部分の解釈についての意見を書きます。話の流れを説明する中で、ネタばれになる内容が含まれています。ご注意ください。 

 

 22巻までで炭治郎が連撃を繰り返し、鬼舞辻無惨を攻撃します。「型」の連続攻撃で、圧倒する炭治郎。剣劇の技名がついている「型」は「12個」描かれています。ですが、ここに至るまでの間に「13個」の型があると、ところどころで繰り返し出てきます。私も、連撃が13個あるものだと考えていましたから、「13個」あるのに「12個」しか出てこないのは、なぜなのだろう?と、疑問に思いました。22巻までで連撃が12個で止まります。それなら最終巻でもう一回13の型を表現するまで連撃を繰り出すのかと思ったら、なんと、そうではなく、無惨が炭治郎を取り込んで、精神的な戦いへと読者を誘います。 

 この吾峠呼世晴様の表現に対して、”13個の型表現してよ。”って思いますよね。私なりに、なぜ最後の描写を、精神的な戦いとして表現したのかを考察しました。結論として、あの精神的な戦いが、現在の私たちにとっての戦い方であるということです。「剣で争う時代から、対話で戦う」という現代の人間の戦い方であり、人間の争いに剣は必要ないという筆者の主張であると捉えました。 

 もちろん人気マンガです。最後は攻撃をカッコよくぶっぱなして、倒してほしいという読者の期待があることも否めません。私も、そう期待する一人だったから気持はわかります。ただ、この作品に関しては、時代背景や現在の世情を考えると、武器を用いて相手をすという時代ではなくなっているのだよ。13個目の型とは「対話」だよ。そう伝えたかったのではないでしょうか?