共存の時代へ

 ヒトモノを大量生産することで、カネ流れをつくり出す時代は終わった。かつて人々は物々交換によって経済活動が成り立っていたその時に、一見すると紙切れだが、モノとの交換の対価として扱うことができるカネが出現した。当時の人たちは、それぞれの経済圏で、この紙切れにそれほどの価値があるのかと驚いただろう。また、そのカネで、経済という”富”によって、生活するために必要不可欠な電気・ガス・水道などの社会の基盤となる経済構造の構築がなされ、国という社会構造も確立し”格差”が生じる事になる。この格差に対して人々は恐れている。さらに、生活の豊かさという側面から見た時に、品質の良い服・おいしい食事・電化製品などモノの豊かさに魅了されていたのでは、ないだろうか。だが、モノを大量生産することによる弊害は、地球環境の温暖化の問題として現れることになる。 

 こうした社会状況対して社会学見田宗介(みた むねすけ)氏によると『2010年にフランスで行われた、若い世代の「非常に幸福」の内容を追及して問う調査は、さらに考えさせられる内容でした。その「非常に幸福」の具体的内容は、カフェでの友人たちとの会話、波に飛び込む身体の感覚、背中に触れる恋人の指の感触、樹々を渡る風の感触、夕食後の家族の会話、等。特に新しく「現代的」な幸福のかたちがあるのではなく、身近な人間との交流や、自然と身体との感触など、人間の歴史の中で以前からよく知られている。〈幸福の原層〉ともいうべきものばかりでした。』(引用終了)とあります。 

 幸せのもとになる価値観というものは、「いわゆる世間一般で抱かれている、いい学校に入り、いい大学で学び、いい会社で働き、そこで勤め上げて定年を迎える。」というような「現代的」な価値観ではなく、当たり前の日常、何気ない日常の中に、人としての生の価値を見出し、共に生きていこうとする行動が人類が生きていくうえで必要不可欠なことであると、私は解釈しました。 

 このことから、『一人ひとりが、その場その場で、いかに「共存」して生きていくことが出来る選択肢を選べるのか。』ということを、常に問われている事を改めて実感させて頂きました。そして、自らの経験をもとに、新たな価値を提供するための物語を、いかに紡ぎだしていくことが出来るのか。こうしたことを日々の生活の中で、実践し、行動する挑戦をしていきます。 

 

引用文献 

見田宗介(みた むねすけ)著 「歴史の岐路に立つ人類。高原の見晴らしを切り開く」  

聖教新聞 2022年(令和4年)1月7日 金曜日