経済とは、経世済民。

 学生時代に、フェアトレードに関する卒業論文を書きました。要旨を一言でまとめると、名ばかりの援助ではなく、「公正な貿易」が必要だ、ということです。当時は、フェアトレードと言っても、「え?何それ?コーヒーか何か?」という認識でした。実際には、コーヒーは扱う商品で、フェアトレードは、経済の流れの枠組みのひとつです。 

 今の時代には、クラウドファンディングという仕組みがあります。これの大本の概念は、”個人にも、経済の流れをそれぞれに”ということです。私の書いた論文の趣旨と一緒です。ココが分かれば、あとは簡単です。どこから、どこに、モノ・コト・カネの流れがあるのか、ということを把握すればいいだけだからです。産業連関分析表の基本的な理屈も、同じです。 

 だから、経済とは、経世済民です。人は生きていくためにお金が必要です。注意するべきなのは、ありすぎると幸せを見失うかもしれません。また、なさ過ぎても苦しいだけです。だから、それぞれの国の”経済圏”の中で”価値”が混乱しないように、皆で流れを形成していきましょう。と、基本的にはこの考え方で話が進められていきます。 

 だから、銀行は”睡眠資産”を嫌がります。 

 だから、国は”税”を取ります。 

 だから、富裕層は”寄付”をします。 

 流そうとする人に、流れるようになっています。それも、ただ流れてくるのではなく、人として、平等を重んじるところに、流れます。あなたは、詐欺など、犯罪に関わったお金で、生活を成り立たせたいですか?どうせなら、一生懸命働いて、感謝をされて得たお金が流れて欲しいな、というのが人情では、ないでしょうか。全体のバランスを見て、それぞれ互いに人としての生活を営むだけの経済力を、持ちつ、持たれつ、で進んでいるのです。 

 だから、一部の富裕層が多額の収入があるのにも関わらず、それ以上を取ろうとすると 、人は”搾取”だと感じます。不平等を感じます。平等だったら、誰も文句言いません。ただでさえ、お金がある流れ(収入)なのに、そこからさらに収入を得ようとしたら、同じ事が出来ない人から見たら、不公平を”感じ”ます。人である以上、やはり感情が伴います。これからも、TPO(時、場所、場合)に応じて、その人の感情を汲み取っていく行動は、誰にとっても必要です。