コロナ禍における、才能発掘の危機

 

結論:子どもたちがそれぞれの分野における自分自身の才能に気が付くことが出来る機会と、大人たちがその才能を発掘する機会をコロナ禍で失っているのではないか。 

 

 人それぞれ、働くことに対しての考えを深める時期は違います。早い人だと、幼稚園、もしくは小学校の時には、既に、その方向で生きることを視野に入れて行動しています。中には、大学卒業間近の就活で考え始める人だっています。私はこのパターンです。既に取り組んでいる人からすれば、これは遅い方です。色んな職業には、なんだかんだいって、やっぱり、その道のことを学んだという意味での学歴が求められるからです。 

 例えば、宇宙飛行士。自然科学系の大学卒というのが最低限必要。他には、教師。大卒資格がありつつ、塾講師とかをして「教え方」を身につけておかないと、なれません。博士課程や海外留学は当然です。もっと言えば、会社員。大体高卒もしくは、業界によっては大卒が必要。人事は関係ないなんて言っていたとしても、私は、無意識の内に求められていると就活のときに感じます。 

 これを高校・大学卒業間近で気づくっていうのは、遅いです。つまり、そこまでに気が付いていれば、違う人生を歩むことが出来たって、後悔する可能性もあります。この意味で、勉強しておけばよかったと後悔する大人はいます。何かに気づくことに遅いことはないという考え方はありますが、それはそれ。その時はその時。また、気付いた時が、やりどきって考えもありますが、やっぱり、気づきは早い方がいい。音楽は、2~3歳の素養で決まる場合もありえます。この背景には、運よく才能を見出した大人がいます。 

 以上の観点から、いまこのコロナ禍において学生の才能を見逃してしまう危機があると思っています。学生が発表の場を失っているということが根拠です。学生にとって発表の場を制限されるということは、本人の気づきを得る機会が失われているということです。また、プロの目に止まる機会そのものが減るということです。 

 その視点から考えれば、日本の高校野球や、大学における箱根駅伝は、恵まれているのではないでしょうか。その理由は、プロから見て頂けて「こいつを育てよう。」って考えて、ドラフト何位とかでプロになれるからです。駅伝は、詳しくはわからないけど、強い人は、それぞれ実業団入っています。オリンピックで頂点狙いたい人なら、なおさらです。 

 たとえば、運動会。誰かしらが運動における注目を集める場になって、生徒本人は、そこでの気づきを得られる。音楽の発表会でも、なんでも、そう。修学旅行なんかは、それがきっかけで、「旅行」というカテゴリーが好きだと気づく機会だと思う。だから、いま、その道における分野のプロの人たちは、生徒の才能を見出す場をどういう形でもいいから創る必要があると思います。