なぜ勉強するの?

 この記事は「なんで勉強しなきゃいけないのか?」という問いに対して、私なりの考えを述べています。これを読めば、勉強することの必要性に関して学ぶことが出来ます。 

 

 どこの会社に行くにしても、資格を取得するにしても、基本的には最低でも高卒までの卒業資格が求められます。これは学校に行きたくない本人の気持ちとは裏腹に、社会はそこまでの勉強をしたという結果が必要ですよ、ということを示します。そして、自分自身が仕事をするという行動自体に、お客様からお金というリターンが帰ってきますし、コンテンツを楽しむ時間を割いて頂きます。そのための信頼が必要なんです。 

 たとえば、アニメです。基本的に本筋のアニメが放送された後って、ネット上に本作品と”似たような作品”が出回ることがあります。もちろん、アニメ制作者は、本物のBlu-Ray やDVDを買って欲しいので、この”似たような作品”を通報します。これは制作者の理屈です。 

 では、楽しむ側の理屈はどうなっているのかというと、無料で楽しみたいという気持ちが少なからずあると思います。本物を知らない人たちは”似たような作品”で、その欲望を満たします。でも、偽物はやはり偽物。本物にはかないません。偽物を楽しんでいるうちは、「私は、本当のその作品の価値を見ぬく能力がありませんよ。」ということを示しているのではないかと考えています。そういう偽物に騙されないために、商品(サービス・モノ・コト)に対する価値を正確に把握しなければいけません。そのための勉強なんです。 

 本物には、その価値に見合った価格が設定されています(=プライスレス含む)。一方、偽物には、価格を付ける価値がありません。価格に対しての価値観は人それぞれですが、高い価格だろうが、低い価格だろうが、本物には、きちんとお金で対価を払って行動するべきであるというのが、経済における基本的な原則です。余談ですが、ポイントやクーポンは、その気持ちを前提に、お得感があるように設定されています。 

 いま、お客様としての側面からお伝えしましたが、この理屈は、サービス提供者側からもおなじ理屈が通ります。良いサービス・商品を提供するということは、誰かにとっての楽しみを提供することと同義です。つまり、普段から本物の情報を知っていなければ、お客様に対して誠実な仕事ができません。誰でも良い情報を知りえて、行動に移したいはずです。経済活動には契約が伴っています。そこに対する義務を果たせないということは、無責任だと評価されても致し方ないのです。そう評価されないために、正しい学問を身に着けようということです。そのための高卒資格です。 

 こういったことは、経済学です。大学で学びます。その大学に学ぶのも、高卒資格が必要です。学問は、人それぞれに行動の選択肢を広げる役割を担っています。だから大人は、「勉強しなさい。」と言います。また、卒業した後も、学ぶ必要があります。これは、ある意味人間にとっての使命なんです。こういうことです。