相手の立場に立つということ

 相手の立場に立つということは、自分自身が同じ状況に立たされた時の自分自身の気持を想像するということです。ここで注意しなければいけないのは、”想像”することが出来るという事だけです。相手の状況や気持ちを想像したからと言って、必ずしも自分自身が相手と同じ気持ちになれるとは、限りません。自分自身が想像した気持ちと相手が実際に感じた気持ちに違いがあった時に、必ずその相手の感じた気持ちそのものを否定してはいけません。相手にとっては、感じたことそのものが事実なのです。 

 この時に、想像し難い発言をされ、それを否定すると「あなたは、何もわかってない!」と相手が感じてしまいます。だからと言って、想像する事、相手の立場に立つことを否定しているわけでは、ありません。以上のことに留意したうえで、その問いに対する自分自身の想像した考えを伝えるのではなく、沈黙することもひとつの手段です。沈黙することで、「受け入れていますよ。」あなたの意見に「否定しませんよ。」ということを示すことが出来る場合があります。 

 声を掛けたくなる時もあると思います。その時の答えが、あきらかにそうであるような答えを人それぞれ持っています。いわゆる”正しい”回答です。あきらかに理屈も通っていて、さも、そのように感じる。ですが、その答えというのは、相手が何かしらで迷っているようなときに、その答えを聞いても心に響かない場合があります。時に、正しさでは、気持ちを整理することは、出来ないこともあるでしょう。 

 正しさでだめならば、励ましならどうかと仰る方もいるでしょう。ですが、人の気持ちというのは、そういう行動ですら受け入れられない事もあるということを理解するべきです。いわゆる何言ってもダメだなという場合です。ちなみに、こういう時は、その励まし自体を偽善のように感じられてしまう可能性もあります。 

 じゃあ、相手が”どん底”にいる時に、何かしたいって人もいるかもしれません。ですが、其の気持ちは、わかるっちゃわかるのですが、そうではないんです。どん底であるかどうかは、相手が感じているかどうかであって、自分が相手のことをどん底と感じてしまうことが、ひとつのステレオタイプで捉えている証拠です。なので、はっきり言って、放っておけばいいんです。ただそれだけなんです。だって自分は自分。他人は他人でしょ。だから、ある意味干渉する必要なんてないんですよ。 

 励ましも、正しさのカテゴリーです。そして、人は正しさでは、どうにもならないこともあるんです。その上で、こう述べたからと言って、相手を独りにすればいいのかというと、それもそうではなくて、とにかく、ゆるく繋がっとくんです。単発の、返信する事すらもはやどうでもいいような、まじで適当な声掛けとかで、いいんです。ただそれだけ。 

 分断ではなく結合というのは、このことです。励ましとか、正しさとか、優しさとか、必要なんですけど、そういうことよりも、つながりを持つっていうこと自体に意味があります。また、相手を傷つけて関係性を分断させることは、人間関係を形成するうえで、また、生きていくうえで、より自分自身を追い込む結果となりえます。これは絶対によくないと考えています。その時の出合いは、やはり一期一会です。そこから先は、縁の役割です。縁は人間が自分自身の意思でどうのこうの出来ないものなのだと思います。ですが、それがあると信じることは人間にも出来ますよね。