「自分で考えて」と伝える落とし穴。

さて、仕事の”できない”部下に対して、「自分で考えて。」とアドバイする割りに、いざ部下が”自分で考えて”行動した時に限って、そうではないと言い放つ人へ 

 

 部下が認識するべきなのは、基本的に上司の指示には、目的があるということです。その目的というのは、状況に応じて違います。一概にこうだということは、言えません。例えて言うなら、車を運転している時のように、刻一刻と変化する状況で「正解」が変わります。もっと言えば、「とるべき行動が変わる」ということです。 

 上司が認識するべきなのは、どの仕事の内容には「言った通りに、そのままやってほしいのか。」という明確な判断基準を決めておくべきです。例えば、お客様の来訪時の対応です。ミスしがちなAさんは、お客様が席に着く前に、お茶を用意してしまいました。この行動がマナー違反なのは、わかるひとには、わかります。といっても基準は、マナー違反かどうかというだけです。お客様が入ってきて、まず目に入るのは机の上です。そこに自分が座る前に、お茶が置いてあったら、自分が来る前に誰かが来ていて、それを片付け忘れたのかな?という疑問が、まず浮かぶでしょう。つまり、この行為は相手に不快感を与えます。誰でも、他人と間接キスをするのはいやなはずです。もちろん、これにも例外があり、恋人同士なら話は別でしょう。このように、TPOに応じて、とるべき行動の基準が変わります。 

 仮に、なんでも早く行動することが大切であるとAさんが教わっていて、上司が”無意識のうちに””この基準を満たすため”に、上司が”自分で考えて”行動してと伝えていたとします。そしたら、Aさんの頭の中では、「速く行動すること=自分で考える。」という基準が発生します。この状況のときに、お客様の来訪時にはお茶が必要であるということを知っているAさんは、”自分で考えて””速く行動するため”、お茶を必要以上に速く準備してしまいます。当然のことながら、これは、マナー違反ですが、Aさんにとってはアドバイスを実行したにすぎません。ですが、Aさんの上司はこのとき、Aさんにそれは違うと言い放ちます。この時点で、互いにディスコミュニケーションが発生しているのです。なので、この場合は、上司はなぜ良くないのかを説明できないとしたら、単純に、この上司はアドバイスの場数が少ないことを示しています。常識を伝えるための言語技術が足りていないのです。 

 では、何を言ったとおりにすればいいのか。 

”自分で”考える”基準は、”マナーを守れるか否か”です。言い換えれば、相手に不快感を与えない行動は何か、ということです。この判断は文字通りTPOによって変化することをわかっている上司ほど。「一概には言えない」ということを口にするでしょう、 

 そして部下が何より困るのは、たくさんいる上司もしくは先輩たちの、人それぞれ求める内容が違う”自分で考えて”なのです。だから、部下の皆さんは、今一度、整理してみてください。それぞれが言っているTPOで、自分が何らかのマナー違反がなかったのかを。もしかしたら、それぞれの”自分で考えて”に、とてもシンプルな「マナーを守りましょう。」という基準が見えてくるはずです。この基準でないこともあるかもしれませんが、ここで言っているのは、基本的な大筋ということです。 

 なので、「自分で考えて」と行ってくる相手には、「マナー違反だったかな?」と考えて、上司にたてつく前に、行動を振り返ってみてください。それで、こういう風に理解したんですけれども、この認識でよろしいでしょうか?と質問してみてください。そうすれば、相互理解につながり、なんだ、考えればできるじゃないかってなる可能性があります。 

 また、なんでもかんでも完璧な指示が出来る人は、そうそういません。指示が間違っているから、上司がどうかという文句は、お門違いです。適宜、判断すべきことは仕事の場では、山ほど存在します。TPOによっては上司の行動が間違う可能性もあります。これは、どっちが、いい悪いの基準ではないということです。 

 何か言ってくるというのは、何かをしてほしい。出来るようになってほしいという現われの一つです。だから、言われているうちが華って聞くでしょ。だから、上司は、自分がその基準に満たしていなくても、出来るかもしれないと考えて言うパターンもあります。なので、あなたできないじゃないですか。という方向の考え方も、間違いです。なぜなら”出来る可能性があるから”、言ってくるのです。 

 なので、失敗は成功の母というように、間違っても工夫して、それを積み重ねていくべきです。そしたら、コンスタントに”当たり”がつきます。その結果、上司は、これをこの人に任せようと”感じて”くれるようになります。 

 なので、誰かから誰でもできるような簡単なことを頼まれた。これは、いろんな基準が満たされていないと、そうはならないです。「任される。」というのは、「信頼の現われの一つ」ではないでしょうか?